1.はじめに
40代になって、ようやく「自分がどう生きたいか」を真剣に考えるようになりました。 家族との時間、仕事のスタイル、住む場所、そしてサーフィン。
これらを“別々のもの”として捉えるのではなく、ひとつのライフデザインとして再構築したい。そんな思いが、今の僕の原点です。
2.私の過去と現在
私は南東北で生まれ、高校・大学と進学し、大学卒業後は社会インフラを支える大企業に就職しました。事業部門で10年、企画部門で10年。現場と企画の両方を経験し、20年間働いてきました。
就職後まもなく結婚し、今は二児の父です。(第一子と第二子は10歳以上離れています)
趣味のサーフィンは13年前に本格的に始めました。
近年は、仕事中心の生活ではなかったものの、事業部門では天候やトラブル対応による不規則勤務、急な呼び出し、連休が確保できない日も一定数ありました。 また、人事異動もあり、山形 → 新潟 → 東京 → 新潟 → 青森(弘前)と転居を繰り返してきました。
3.ライフデザインの変化
(1)青森への異動
事業部門での一定の経験を経て、企画部門でも10年の経験を積み、組織改革・教育改革・DXなどを通して企画力をさらに磨きたいと考えていました。 会社にも企画部門での継続を希望していました。
そんな矢先に命じられたのが、青森(弘前)への異動。しかも、10年以上離れていた事業部門への復帰でした。
会社としては幅広い経験を積ませる意図があったのだと思います。しかし、企画力よりも“経験値”が重視される事業部門に戻ることに、正直なところ抵抗がありました。それでも、会社からの期待に応えようと気持ちを切り替え、新天地での業務に臨みました。
(2)異動に伴う悩み
異動で最も悩んだのは家族のことでした。
「異動があっても隣県だろう」 そんな思い込みから、家族とは「私が単身赴任し、週末に帰宅する」という前提で話していました。しかし、現実は違いました。
・弘前〜新潟は片道6時間以上
・冬は雪で帰れない可能性
・二重生活で生活費が増える
・現地で車が必要になるかもしれない
・お金がかかる割に家族と過ごす時間は減る
・家族が物理的にも精神的にも離れてしまう
・そんな状況で満足いく仕事ができるのか
・サーフィンどころではなくなるのではないか
家族で話し合い、最終的に家族4人で青森に引っ越すことを決断しました。
ただ、新潟での暮らしに慣れきっていたため、家族全員に大きな抵抗がありました。 特に、第一子は中学生で学校生活を楽しんでいたこともあり、泣きながら反対した姿が今でも胸に残っています。
(3)海が遠い
弘前での生活が落ち着いてきた頃、次の気づきがありました。
「海が遠い」
弘前から最寄りのサーフポイントまでは、
・日本海側:片道1時間
・太平洋側:片道2時間
新潟では20分で海に行けていたため、「思い立ったらすぐ海へ」という生活ができなくなりました。
さらに、弘前では中学部活動の送迎をすることが一般的で、家族の予定で海に行けない日も増えました。
そして何より雪。 青森は全国トップクラスの豪雪地帯で、冬は毎日のように30cm以上積もります。
・道路状況の悪化
・側雪による駐車スペースの懸念
・移動時間のさらなる増加
・道中立ち往生のリスク
これらが重なり、サーフィンの頻度は新潟時代の1/4ほどに減少。海に行けない日が続き、心の中にモヤモヤが積もっていきました。
家族の休日の過ごし方にも影響が出ました。「休日=海」だった我が家ですが、海が遠く、夏も短いため、家にこもる日が増えていきました。
(4)将来への不安
さらに、第一子の高校受験が2年後に迫っていたことも不安を大きくしました。
・高校入学に合わせて新潟に戻りたい
・でも2年で戻れる保証はない
・そもそも新潟に戻れるのか
・高校入学後に異動になったらどうする
・また転校させるのか
・その後の進路に影響しないか
・第二子も成長する
・異動のたびに同じことが繰り返されるのでは
将来の家族・生活への見通しがたたず、新潟にいた時には感じなかった不安が続きました。
(5)私の思いの変化
不慣れな業務、サーフィン頻度の減少、将来への不安。これらが重なり、次ような思いが強くなっていきました。
・会社の異動判断は理解できる
・だが、家族の好きなライフスタイルが遠のいている
・私も家族もモヤモヤしている
・今後の家族のライフデザインに不安がある
・自分の強み(企画力)を活かした仕事がしたい
・キャリアアップと引き換えに失うものが大きい
・キャリアアップしてもサーフィン頻度は増えない
・もう40代、健康寿命は限られている
「今のままでは満足した人生を送れない」
4.ライフデザインの再構築へ
2026年。
これらのモヤモヤと将来への不安を断ち切るため、転職し、家族で湘南に移住することを決断しました。この決断を後押しした要素が3つあります。
(1)企画部門で培った経験を活かせる職種があったこと
企画部門の10年間で、組織改革・業務改善・DXなどのプロジェクトマネジメントを経験し、組織横断での仕組みづくりや制度設計といったスキルを磨いてきました。
そして、これらの経験を活かせる職種が転職先に存在していたことが、私にとって大きな希望になりました。
「これまでの20年を無駄にせず、むしろ最大限に活かせる」
そう思えたことで、転職と移住が、より前向きなキャリア選択になりました。
(2)持ち家ではなく賃貸だったこと
住宅ローンに縛られていなかったため、住む場所を柔軟に選べる状態でした。この“身軽さ”が、家族全員での移住を現実的な選択肢にしてくれました。
(3)一定の資産が形成できていたこと
20年間の会社員生活で持株会や積立金、個人で始めたNISAやiDeCoなどの資産が“生活の土台”として心の支えになりました。
第一子の今後の教育費を考えると決して余裕があるわけではありませんが、それでも「環境を変えても家族の生活は守れる」という安心感が、背中を押してくれました。
こうして、私はサーフィンも仕事も家族も、すべて大切にできる“これからのライフデザイン”を選び取ることにしました。
